日本の写真史~写真の始まり

日本の写真史を考える

日本の写真史というのは、日本の写真の歴史のことです。ここで、日本における写真の歴史を考えてみましょう。日本の写真史(写真の歴史)とひとくちにいっても、いくつかの捉え方があります。フィルム写真の時代160年余とデジタル写真の現在、下記のようないくつかの視点から写真の歴史を紐解くことが求められているのでは無いでしょうか。

(1)カメラの発達から考える
日本の写真史を、カメラの発達と位置づけて考えることです。つまり発明当初のカメラオブスキュラから一眼レフカメラ、また手作りカメラから工業生産へというように、カメラの進化と共に捉える考え方です。
(2)視点から捉える写真史
これは撮影者の視点から生み出された写真を捉える考え方です。それぞれの時代区分のなかでの社会的背景(思想)を軸に考えます。
(3)社会学的な大きな流れから考える
ポートレートやファッション等の商業系を含め、社会学的な写真史も含まれます。アートとしての写真、またはドキュメントとして、 発明当初からの絵画的指向から始まり、現在のジャーナリズムとしての写真の歴史など、大きな流れを考えます。

写真の発明(1)

「古代に写真は存在したか」と「どんな発明が貢献したのか」を合わせて考えますと、写真の発明にとって決定的だったのは、像の定着を可能にする薬品の発明にありました。それ以前には、カメラ・オブスクーラというカメラの原型みたいなもので「写真的なもの」を見ることはできましたが、像を定着させるところまではなかなかいきませんでした。1725年にドイツの科学者ヨハン・ハインリヒ・シェルツェが、塩化銀が光の作用で黒く変色する事実を突き止めたことから、感光性と定着性を追及する動きが活発化するになりました。そうした化学的成果が結実することになるのが、1839年のフランスのダゲールとイギリスのタルボットのほぼ同時となる写真の発明になります。

写真の発明(2)

以上のことから、像の定着という点においては古代には写真というものは存在しなかったと言うことができ、写真の大きな一歩は像の定着を可能にする薬品の発明が挙げられます。更に写真の発明後には、どの媒体(ガラスなのか紙なのかセルロイドなのか)に像を定着させるかということでも研究がなされ、今のようなフィルムに定着させるようになったのが1880年代になります。

日本の写真史を調べる

日本の写真史を調べてみると、次のようなことがわかります。

  • 1839年:世界初の写真機をフランス人、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが発明。
  • 1853年5月:ブラウン・ジュニアが那覇の天久聖現寺で地元民の写真を撮影。
  • 1854年5月:ブラウン・ジュニアが松前藩の遠藤又左衛門と従者達を撮影。
  • 1857年9月:島津斉彬が湿式写真機の実験。家臣に肖像を写させ自らも撮影を試みる。
  • 1860年:咸臨丸で渡米した福沢諭吉、写真館の娘と記念撮影。
  • 1860年3月:上野彦馬が長崎から江戸に出て津藩邸に滞在、旗本らを撮影して評判になる。
  • 1862年:アメリカ人から写真術を習った下岡蓮杖が横浜で日本初の写真館を開く。

日本の写真史~日本最古の写真

松前町所蔵の「松前藩主席応接使 松前勘解由」、函館市所蔵の「松前藩士 石塚官蔵と従者像」、個人所蔵の「藩士 遠藤又左衛門」が外国人が撮影した現存する日本最古の写真ということがわかりました。それではエリファレット・ブラウン・ジュニアが撮影した残りの3枚の写真は、どこにあるのでしょうか?調べてみると次のようになっています。

  • 銀板写真「田中光儀像」(1854)~個人所蔵
  • 銀板写真「黒川嘉兵衛像」(1854)~個人所蔵
  • 銀板写真「遠藤又左衛門と従者像」(1854)~神奈川県横浜市(横浜美術館保管)

日本の写真史~最初の写真撮影(1)

ペリーは浦賀入港以前の1853年5月26日に琉球王国に入港しています。ここで最初の撮影が行われているようです。銀板写真が発明されたのは1839年ですが、その4年後の1843年にはオランダ船により長崎に日本の最初に写真機材が持ち込まれています。写真撮影をしているブラウンを見掛けた庶民たちは、これに驚愕・興奮を示し、もしや魔術ではないかと噂しあったといいます。

最初の写真撮影(2)

しかし、その一方、写真に対して冷静に興味を示した人たちもいました。当時長崎の御用商人で蘭学者あった上野俊之丞(上野彦馬の父)は、その機材をスケッチしていますが、機材自体は持ち帰られました。1848年には島津斉彬が銀板写真機材を入手し、市来四郎らに研究を命じていますが、銀板写真は薬剤の調製が難しく、市来が写真撮影に成功したのは1857年と言われています。

日本の写真史とペリー

1854年にペリーが再来航した際には写真家のエリファレット・ブラウン(Eliphalet M. Brown, Jr.)を伴っていて、人物や日本各地の風景撮影しています。石川某という、武州の名主は、撮影の様子や写真機の形をスケッチし、その様子を克明に書き残しています。写真についての知識をある程度持っていた、蘭学者の佐久間象山は、撮影中のブラウンと写真問答をしたということを、日記に記しています。いずれにせよ、初めて写真撮影を目の当たりにした日本人は、激しい驚きと興味を示したのです。ブラウンがこの時に写した写真は、「ペリー提督日本遠征記」の挿絵として使用するために撮影されたものだったのですが、同時に、これが、日本人が写された最初の写真となったのです。

世界最古の写真

現存する世界最古の写真としては、1827年にフランスの科学者ニセフォール・ニエプスが自宅の窓から撮影したものがあります。この実物はテキサス大学のゲルシャイムコレクションに収められています。ただ、まだ見つかってないだけで、これよりも昔に撮影された写真が世界のどこかに眠っている可能性はあります。

日本の写真史~日本初の写真館

日本発の写真館はどこか知っていますか?それは幕末の1859年に横浜港が開港し、その翌年1860年にアメリカ人O.E.フリーマンが横浜に初の写真館を開いたのが始まりです。

日本の写真史~日本最初の写真師:下岡蓮杖

日本人初の写真師とされる下岡蓮杖は、伊豆の下田に生まれていて、開港後に下田に着任したハリスの給仕となって、オランダ人通訳ヒュースケンから写真を学んだのだと云われています。下岡が弁天通り沿いに写真館を開いたのは上野彦馬が長崎に写真館を開いたのとほぼ同時期です。

下岡蓮杖と写真館
下岡蓮杖1862年に横浜に写真館を開業しました。彼は1823年(文政6年)伊豆下田生まれ。当初は絵師を志して江戸に出てきましたが、そこで外国から入ってきたばかりの写真というものを見て興味を持ち、写真術の習得を目指します。彼は横浜で出会ったアメリカ人の写真家ジョン・ウィルソンからカメラやスタジオを譲り受け、写真館を開業するが失敗。 当時の日本人は写真を撮影すると寿命が縮まるとしてこれを嫌い、写真というものに馴染めず、客はいずれも外国人が大半でした。やがて時代とともに迷信は消え、彼も苦労の末に弁天通りに再出店します。その後一旦故郷の下田へ帰りますが、再び横浜に出て、馬車道太田町角にも店を構え、店舗は次第に栄えていきました。
下岡蓮杖の開祖碑
下岡蓮杖は長崎の上野彦馬とともに日本の商業写真師の草分けとして知られていますが、この碑は彼の写真館が弁天町にあったことから彼の功績を記念して設置されています。

日本の写真史~日本最初の写真家:上野彦馬

日本最初の『写真師』が下岡蓮杖だとすると、日本最初の『写真家』は上野彦馬でしょう。彼は長崎の蘭学者の次男として生まれ、オランダ軍医を教師とする医学伝習所で化学を学びました。ここで湿板写真術を知り、蘭書を頼りにその技術を習得し感光剤に用いられる化学薬品の自製に成功したのです。その後は江戸に出て数々の写真を撮影し活躍しました。代表作は「坂本龍馬肖像写真」ですが、これは弟子の井上俊三の撮影であるともいわれています。

日本の写真史~写真発明のころ

写真発明の頃というと、19世紀前半です。日本ではまだまだ写真が知られていない頃、すでに英国やフランスでは写真術研究が行われていました。その当時の写真術というのは、化学実験とでもいえばいいのでしょうか。あの手この手を使って、光を定着させようと努力しています。

当時のフィルム
フィルムにあたる支持体に銅版を使ったりガラス版を使ったり、感光材料を混ぜる定着剤(材)に卵白やゴムを使ったりしたそうです。最初の頃は大変だったことが伺われます。工業製品となった現在のフィルムは、セルロイドに銀を混ぜたゼラチンを塗ったものです。このことから、この材料をつかった写真プリントを「ゼラチン・シルバー・プリント」といいます。
写真の発明
写真の発明というのはフィルム、印画紙にあたる感光材料の開発です。装置としてのカメラは、カメラ・オブ・スキュラといっている暗箱で、すでに絵描きさんが下絵かきに使っていました。いまの状況でいえば、フィルムがデジタルになる、デジタル装置の開発とでもいえます。1839年にフランスアカデミーがダゲレオタイプの写真術に特許権を与えたので、写真の発明はフランスということになっています。

世界初の家庭用カメラ

この世にカメラが誕生したのは1830年代とされていますが、まだまだ一般の人々がカメラを手にすることはありませんでした。ところが1888年、米Kodak社によって世界初の家庭用カメラが発売され、多くの人々が持ち運びできるサイズのカメラを手にすることになります。黒いレザーに覆われ、ビューファインダーも無く味気ないデザインのカメラでしたが、人々はそのカメラを使って日常のスナップショットを撮影し、アマチュアフォトグラファーとして「写真」を残し始めました。そんな世界で初めて開発されたKodak社の商用カメラで撮られた写真が13枚が残っています。1888~1890年に撮影されたものですが、現代のカメラでは決して表現することの出来ない本物のヴィンテージを感じさせます。

近年の写真の傾向

デジタル写真が主流の現在、フィルムを使った写真が行くべき方向として、発明前後の原点回帰の方へという指向があります。カメラと感光材料であるフィルム(印画紙)を手作りしていこうという考え方です。根底にあるのは写真作業でしょうか。あえての手作業。これは例えば、スーパーで野菜を買うのでは無く、手間ひまかけて自分で野菜を有機栽培するのと同じような感覚でしょうか。